あたし、琴音の十六歳の誕生日、そりゃもう大騒動だった。
養い親――秋月が吸血鬼だとその身をもって知らされて、そしてその
まま仲間にされて。
逃げだしたら同じ吸血鬼のトリィ――アーティストリィという女性に殺されそうにな
った。
いやもう……これだけでも寿命が半分以上縮まりそう。
あれから三ヶ月近く経つけど、今は毎日毎日、秋月に迫られる日々。
息つく暇もない――といった感じだけど、そんな中でも友情(?)なんかが芽生えて
いたりする。
「――で、その後はどうなの?」
「ふっ、そりゃあもう……逃げに逃げまくってやってるわ」
あたしは遠い目をしながら笑みを浮かべた。
怒涛の日々を振り返ると、体力回復後から始まった秋月との追いかけっこ、というか
格闘というか――まあ自分の貞操をかけての戦いなんで気が抜けない――そんな毎日。
で、どうしようか考えた結果、トリィを味方につけた。
初めは命を狙ってきたんで近寄らないようにしていたんだけど、居間で秋月が手を出
してきた時に「こんな所でいい加減にしなさいよ!」と割り込んできた時があった。そ
したら秋月は案外素直に引いたのよ。ウェンさんが止めようとしてもなかなか止めない
のに。
この差はいったいなに? と思って後で怖々近づいて聞いてみたのだ。
***
誕生日の日から少し後のこと、すっかり居ついてしまったトリィは、ソファーで寛い
で紅茶を飲んでいる。その落ち着いた姿は、まるでこの部屋の主のよう。
それに引き替え彼女にお茶を出しているあたしは、まるで小間使いのようだった。
「美味しいわ」
「ど、どうもありがとう。あの……」
「なに?」
「ちょっと、聞いてもいい?」
ドキドキしながら尋ねると、トリィはこちらをちらりと見てから「なにかしら?」と
答えた。
そういえばトリィと二人で話をするのは、誕生日の日以来だ。でもどうしても聞きた
いので、気合を入れて疑問に思ったことを口にした。
「唐突だけど、秋月はなんでトリィに甘いの?」
「あら、焼いているのかしら?」
「や、そうじゃなくて」
聞きたいのはそこじゃないから、と返すと、トリィは少しだけむっとした表情になる。
「なんか、さらりと流されるとムカつくわね」
「ああ、ごめんごめん。えっと……秋月の態度がウェンさんトリィだと天と地の差とい
うか、雲泥の差というか……とにかく気になって」
他の人に対する秋月の態度を見てないんでなんとも言えないけど、なんかトリィには
だけは甘い。そんな直感がある。
もともとトリィは秋月のことを好きなんだし、秋月もトリィに対する好意があれば、
上手くすれば逃げられるかもしれない、と思ったから。
あと、秋月が甘い人物ということで純粋に興味があるのと二つの理由から、聞いてみ
たい質問だった。
「ああ、それは……秋月にとってわたくしは『妹』みたいなものだからよ」
「……いもうと?」
「本当の妹じゃないけれど、小さい頃は彼と一緒に育ったの。だからわたくしには優し
くしてくれるわ」
「そう、なんだ」
秋月の意外な一面を知って素直に驚いた。
そういえば生い立ちやら何やら、あたしは全く知らないんだと気付く。
「秋月とウェンとは悪友みたいなものかしら。年齢的に二人で組むことも多かったから。
秋月は……強くてきれいで、わたくしには優しくて……わたくしにとって憧れの人だっ
たのよ」
憧れ……あれが憧れの人ですか――というツッコミは恐ろしかったのでしなかった。
ここでそこまで聞いたら、出会った時の状態に戻りそうだったからだ。
でも小さい時から一緒で、自分には優しいとなると、憧れを抱いてもおかしくないの
かもしれない。
「『妹』であったけれど、秋月にとってわたくしは他の女性より『特別』だったの。だ
から花嫁に選ぶとしたら、わたくしを選ぶと思っていたわ。周りもそう思っていたみた
いだったし。けれど、秋月は十三年前に姿を消してしまったのよ」
十三年前――あたしを拾った時と一致する。
もしかしてその間、秋月は仲間と連絡を取り合っていなかった、もしくはしても最低
限の人のみだった?
でも、なんで? あたしが人間だから?
仲間に入れるのってすごく厳密な審査(?)みたいなのがあるみたいだし。謎が色々
浮んできて、鬼気迫る勢いで聞いてみたのに、トリィはそれ以上答えてくれなかった。
でも、それから少しずつ話しだして、今ではだいぶ打ち解けてきたような気がした。
***
ミルクティーを一口飲んで、それから手作りクッキーをパクリ。うん、自分で作った
ものだけど美味しい。
「それにしても、いつまで逃げる気なの? というより逃げられると思っているの?」
「うーん……実は逃げられるとは思ってないんだけど、思い通りになるのはムカつくか
らなるべく逃げてる……のかなぁ」
「なら、秋月のことが嫌いというわけじゃないのね?」
「う……」
いやまあ、確かにそれについては否定できないというか。嫌いではないんだよ、あん
なんでもずっと傍に居てくれた人だし。
ただ本当にいきなり目の前に「この道を行け!」と突きつけられた身になるとちょっ
と……。まるで、親に決められた進路を歩くしかない子供のようだ。
しかも、その道は死ぬまで続いてるし、あたしは素直に言うことを聞くようなタイプ
でもないし。
考えていたことをなぞるように口にしてトリィに説明する。
「そりゃ……まあ、秋月のことは嫌いじゃないよ。でもね、秋月はあたしの保護者とし
てたから、こちらとしては恋愛対象として見てなかったというか。っていうか、そんな
風に見られていたってこと自体意外だってのに、更にいきなり生涯ともにする――なん
て言われたってねぇ……」
「まあ……確かに戸惑うのも分かるわね」
とりあえず思いつくまま自分の思いを口にすると、トリィも否定することなく頷いて
くれる。
なので、さらに奥にある本音までポロッと出してしまった。
「それに、こう言うとトリィに失礼だけど、吸血鬼なんだよ? 人じゃないんだよ?
そりゃ変な人だとは思っていたけど、ここまで規格外とは思わなかったってのが本音か
なぁ」
ため込んでいた思いを一気に口にして、その後気持ちを落ち着かせるために深く息を
吸う。肺に空気が満たされてやっとひと心地できた。
が、逆にトリィはここまで長々と言われると思わなかったらしく、少し口元がひくつ
いている。
ああ、ごめん。つい日頃の欝憤が出てしまったのよー。
「な、なんかボロクソに言われていたのは気のせいかしら?」
「うーん、気のせいというか気のせいじゃないというか……というか、トリィ言葉遣い
悪くなってない?」
「当たり前でしょう!? ここにいたら変な言葉ばかり覚えるわ! それにあなたたちに
合わせているからつい使ってしまうのよ!」
こちらもまた吐き出すかのように言うと、気分を落ち着かせるためにミルクティーを
一口。
なんか不毛な愚痴の言い合いだけど、こんな感じでトリィとは仲良くなったほうだと
思う。
それにこうやって秋月のことを聞いたりしていると、あたしが知らない一面も見えて
くる。だから最近、実はもう必死に逃げるのをやめようかなーなんて思うんだけど、本
人を目の前にするとどうしても駄目。
からかわれると売り言葉に買い言葉だし、『愛してる』なんてあの口から出たら寒気
が走るーっ!
…………ダメだ。あたしの中に恋愛脳ってのがないかもしれない。
「それにしても、よくあれだけ逃げ続けることができるわね。ある意味尊敬するわ」
「うん、それはあたしも同感。でも絶対秋月が手加減してるとは思うのよ。いくらあれ
から体力、筋力なんかが上がっているとはいえ、秋月に勝てるわけないもの。でも手加
減されてる、って思うとやっぱりムカついてきて……ど突けないなら全速力で逃げてや
る! って思うのよね」
昔から立場的に保護者と被保護者で、力の差は歴然。今だって、秋月のおかげで強く
はなったけど、その秋月を上回る力はない。
だからこうして逃げていられるのは、秋月がまだ手加減しているからだ。
そう思うと、本気を出してこない秋月の言うとおりになるのは、なんとなく癪に感じ
てしまって……結局、ひたすら逃げに回っている。
「矛盾してるわ」
「……分かってる」
矛盾してるのは微妙な乙女心から。
そう簡単に心の整理はできないのよ。ずっと保護者でいた人が、いきなり恋愛対象に
なったんだもん。しかもただの恋愛じゃなくて、種族という壁をぶち怖して――という
か、一方的に破壊されたんだけど――生涯を誓うような相手になる。
それに、生涯の相手なら立場が対等なはずなのに、まだ甘やかされている。そう思う
と微妙に苛々して、そのまま受け入れるのに抵抗を感じてしまうのだ。
こんな感じにぐるぐる思い悩んで、結局、最後に出るのはため息だ。
こればかりは頭で考えても仕方ないものだと分かっている。目の前にいるのが秋月だ
ったら本能で動いちゃうんだけど、トリィと話をしていると自分の知らない秋月のこと
を知ったりして、余計に考えて悩んでしまうのだ。
そしていると、また深いため息をつくことになる。
「はあ……」
「あまり思い詰めないほうがいいんじゃなくて?」
「うーん……分かってはいるんだけどねぇ。なんて言うか、そう思ってもコントロール
出来ないというか……」
出来ればとっくに楽になっているんだけど。
「じゃあ、やっぱり琴音は秋月のこと好きなのかしら?」
「へ!?」
「だって、どうでもいい相手ならそんなに思い悩まないでしょう? 嫌なら殴って蹴り
とばして踏み倒して終わらせてるわ」
「や、それはちょっといくらなんでも酷いから……」
さすがにそれは……ねえ? トリィって過激だわ。まあ恋敵(?)をいきなり殺そう
ってんだから、過激といえば過激なんだろうけど。
でもその後のセリフを聞いて、トリィは前に垂れている髪を手で払いのけながらあっ
さりと。
「あら、これはあなたが秋月にしていることよ。でもって、そのあと琴音は悩むのよね。
本当に矛盾してるわ。そういうのって恋って言わないかしら?」
「ぶはーーっ!」
トリィの言葉に、あたしは口に含んでいたミルクティーを思い切りふき出した。
ふき出して服についたミルクティーを、持っていたハンカチで拭き取りながら、それ
でも頭はまだパニック状態。
トリィはといえば、「汚いわね」というような目つきでこっちを見てる。
ふき出しそうなことを言ったのはそっちでしょうが!
しかもっ!
「こ、濃いですかっ!?」
「字、違ってるわよ」
「こまかっ! セリフをきちんと漢字変換して聞かないで! パニックで可笑しくなっ
てるの!」
「ふっ、まだまだね」
「なにがーっ!?」
こうして女同士のお茶の時間が過ぎていくのだ。
***
夕方になって話をやめて、夕食を作り始めた。
吸血鬼って普通に食事も出来るから、あたしにとっては好都合。長年(?)慣れ親し
んだ食事がなくなると寂しいもの。
最近では、秋月もちゃんと毎日食べるようになったし、ウェンさんとトリィも食事の
時間になると集まってくるので、最近は張り切って作る。
今日のメインメニューはクリームシチュー。野菜とお肉を冷蔵庫から取り出して、先
にじゃがいもと人参、玉ねぎを大きめに切っておく。
そして大きめの鍋に入れて火をつけたところで、ひょっこり秋月が現れた。
秋月を見た瞬間、さっきのトリィの言った言葉が甦り、本能的に秋月の顔に拳になっ
た手が飛び出ていたのは仕方ないことだと思う。
「……。いきなり先制攻撃か?」
「あー……いやちょっとハエが……」
「ほーぅ、お前はハエを叩くんじゃなくて拳で殴るのか」
「いや、あの、それはその……」
じりじりと、まさにそう表現するのに相応しいように少しずつ近寄ってくる。
そうなると本能でこっちもじりじり逃げるわけなんだけど、立っていたのはキッチン
のシンクの前。逃げ場はこれ以上ない。
「逃げられそうにないみたいだな」
「う……」
シンクのへりに手をついて体を反るようにして逃げるけど、さすがにそれも限界。秋
月の手はあたしの顎に添えて無理やりあたしの顔を上げさせる。
そうすると、楽しそう――と表現するには邪気があるような笑みが目に入る。その表
情は、まるで猫がネズミなんかを捕まえていたぶる時のものに似ているなって思う。
いつだって完全に降伏させることが出来るのに、さじ加減を考えながら時間をかけて
遊ぶ――そんな感じだ。
そう思うと心の底からムカムカとこみ上げるものが一気に倍増した。
「ざけんなあああっ!!」
握りこぶしを下から顎に向けての至近距離からの攻撃。
避けられずに見事に決まる。「げふっ」と変な声を出してのけぞる秋月に、顔を真っ
赤にして怒鳴る。
「手加減しているヤツに落ちてやるほど、あたしは簡単じゃない!」
そうよ、遊び半分であたしの人生決められてなるものか!
――そう思ったのに、秋月の目に剣呑な光が宿る。それを目にした瞬間、小さく震え
が走った。
こ、怖さが倍増した気がするんですけど……?
「ふーん。結構その気になってきたみたいだから――そろそろ俺も本気出そうかな?」
「……え!?」
先程のニヤリとした笑みではなく、獲物を射抜くような鋭い目をした秋月を見る。怖
い。ものすごく怖いんですけど……あたしは喉が自然に上下するのを感じた。
どうやらあたしは、秋月の『本気』を引き出してしまったらしい。
背の高い秋月は普通に立っているとあたしを見下ろすような形になる。だから上から
見下ろされるような形になるんだけど、それがより迫力を増しているような……なんて
思っていると、秋月はあたしの頬に軽く触れながら顔を近づけ――
「楽しみだよなぁ、琴音?」
耳元でそっと囁いた。
ヤバい。地雷踏んだみたい。
夕食が終ってお風呂に入って、やっと自分の部屋に戻った。
誕生日以降、秋月が何かとちょっかいかけてくるので、居間でトリィとウェンさんたちと一緒にいる方が安全だった。
だけど寝る時は自分の部屋に戻らなくちゃならない。以前トリィに「一緒に寝て!」と頼んだけど、ものすごく嫌な顔をされた。同時に、秋月から恨まれたくない、とも。
そのため体力回復後速効で街に行って、安全性の高い鍵を取り付けたのは言うまでもない。
でもこれだけで大丈夫、とは言い切れない。ついでに開けた時に音が鳴るような仕掛けも作った。さあ、これでトラップに掛かることなく入ることは難しいぞ、と自慢したいくらい。
……自分が入るのも大変だけど。
でも、秋月は部屋に入ってくることはなかった。
「変なの。それとも心配のし過ぎ……なのかなぁ?」
ベッドにごろりと寝転がって天井を見上げる。
やっぱりからかわれているだけなのかもしれない。誕生日の時から、秋月が構ってくるのはトリィたちが一緒にいる時ばかり。それ以外で二人の時もあるけど、薔薇の手入れで庭にいる時が一番多い。
気づいてみると、差し迫って身の危険を感じる程じゃなかった気がする。
もしそうだったら、あたしが一生懸命していたことってなんなんだろう。人目があるのにベタベタ触られるのが嫌だとか、トリィに対してもなんか悪いなーなんて思ったり。
秋月に対しても少しは気を遣ってよ、とイライラして――でもそれも秋月の遊びのうちだったのかな。だったら、あたしってすごく――
「馬鹿みたい、じゃない?」
仰向けになっていた体を横にして足を曲げて抱える。体を丸めてぎゅっと小さくなって悔しい気持ちを堪えようとした。
そこに。
「何がだ?」
上から馴染んだ声が聞こえてきて、かたく瞑っていた目を見開いた。
「おーい、せっかく来たんだからなんか反応してくれよ」
いつもと同じような口調で、人の頬をツンツンと突いて遊んでいるのは、あたしの悩みの種である秋月だった。
「なんでっ、どうして!? 鍵かけてあるし、音鳴らなかった!」
「あーなんか仕掛けしてるのは知ってたけど、俺には意味ないし」
「なんでっ!?」
さっきの落ち込んだ気持ちは、秋月の登場でどこかへ一瞬のうちに吹き飛んだ。
別に待っていたわけじゃない。ただ、なんの予測もなくいきなり居るなんて反則だという疑問と怒りの感情の方が強い。
「ほら、吸血鬼って霧に変身できるって能力あるだろ?」
「コウモリに変身とかは聞いたことあるけど……」
「霧にもなれるんでーす。で、霧になれば鍵かかってようと関係ないし」
お気楽な口調。でも、いつの間にかにあたしを跨ぐようにして上に乗っかってるし。なんか一気に身の危険を感じますです。ああ、言葉がちょっと意味不明だ。
「なっ……そんなのズルイ! あたしの苦労はどうなるわけ!?」
「知らん。」
「ひどっ!」
ああこういう性格だったよ、アンタは! と今さら気づいてももう遅い。自分の迂闊さを呪うしかない。
考えてみれば秋月は十三年も辛抱強く待っていたんだ。だから誕生日から三ヶ月弱、これくらい待ったとしても可笑しくないような気がする。
人とは時間の間隔が違うのは分かるけど、十三年ってやっぱり長いと思う。
拾った当初はぜったい守備範囲からは外れているとは思うんだけど……ってか思いたい。でなければ恐ろしいことになっている。
ちょっと待った。とりあえず過去のことは置こう。冷静になるんだ、自分。深呼吸をした後、今までのことをまとめてみる。
秋月は三歳のあたしを拾って養ってくれた。それこそ本心など一切見せずに。十六の誕生日を迎えるまで、セクハラまがいのことをされても、秋月の悪戯がここまで来たか――としか思わなかった。
もしかして秋月は、見た目のおちゃらけ具合は嘘で、かなり慎重な性格なのかもしれない。
――と、分析できた後、とにかくこの体勢と雰囲気を変えないと危ないことに気づいた。そこまで慎重な性格なら、そろそろあたしが落ちる頃合だと判断したからだろう。この体勢はなし崩しにいってしまいそうなほど、あたしは秋月に傾いていることになる。
「そそそそ、それで本日は何のご用でしょうか~?」
少しだけ視線をそらしつつ、裏返りそうな声で尋ねる。白々しいにも程がある質問だとは思う。
自然界の掟では目を逸らしたほうが負け、とある。でもあたしは真っ直ぐに見ることが出来なかった。だからこの時点ですでに負けているといっていい。負けたらどうなるか――それは分かりきったことだった。
決まってるだろう、と極上だと思われる――何故、思われるというと、あたしにしてみると極悪にしか見えないからだ――笑みを浮かべながら、右手であたしの首筋をすーっと撫でる。
…………っ、せ、背筋に寒気が走った。
「ちょっ……やめっ」
同じようなことを何度かされてるんだけど、そのたびに堪えきれずに拒否する言葉が出る。
もちろん素直に言うことを聞いてくれるわけじゃない。次にどんなことをされるのかと思うと体に力が入る。横を向いた体を丸めるようにして、ぎゅっと目を瞑った。
これじゃ逃げることもできない。今日も気まぐれで構うだけ構ったらどっか言ってくれないかなって思う。
「琴音」
あたしの名前を呼んで、目を瞑ったまま硬くなっているあたしの頬を撫でる。
「琴音」
いつもと違う優しくて真面目な声。頬を撫でる手もすごく丁寧。
ヤバいよ、どうしよう。秋月がいつもと違う。誕生日の時と同じだ。
これって本気を出したってこと?
「な、なに……よ?」
気になって目を開けて、少しだけ顔を上に向けると、顎に添えられた手にその動きを利用されてしまう。
おかげで上半身を捻るはめになったんだけど、それについて抗議している暇はなかった。秋月の真剣な表情を見てしまったから。
「しゅうげ……」
ヤバイ。キスされてしまった。今はまだ重なっているだけだけど……絶対これだけじゃ終わらない……よね?
でも本当の本当に本気なのかな? だとしたら、あたしは……
正直、あたしはまだ進路は先――と高をくくっていたのだ。
養ってもらっている身なのに、高校卒業は当たり前だと思っていた。そして後はどこかに就職して――それがあたしの思い描いていた未来。
けれど、十六歳の誕生日に未来を勝手に決められてしまった。しかも、人間から吸血鬼だから思い切り違う。
この家で薔薇に囲まれて、ずっと秋月と一緒にいる――想像しても仕方ないと思っていた未来。でも、続けばいいとも思っていた未来でもあった。
なにより、今とすごく変わるわけじゃない。
トリィと何度も話をして、実はとっくに気づいていた。自分が秋月のことを好きだってこと。
でも認めたくなかった。
自分で気づくより先に、与えられた未来に反発する気持ちの方が、とても強かったから。
でも気付いた今、あたしはどうすればいいんだろう。
「……っ」
つらつらと考えていたら反応が遅れた。
抵抗できないまま閉じていた唇を開かれ、生温かい舌が入ってくる。吸われて絡められて背筋がまたぞくぞくする。でも嫌なものじゃない。
嫌なものなら今だって全力で逃げると思う。
だけど、そう思えない。思えないのが悔しい。
こうしている今も上着の裾からて、手がお腹撫でます。しかも、なんか手が上にほうに向かってませんかね? 身の危険をひしひしと感じるので、現実逃避に実況中継してみるけど、本っ当に現実逃避だわ。
逃げられないんだからしょうがないけど、その先はあまり考えたくないよ。やっと自覚したばかりなんだもの。
「ふ……はぁー……」
やっと唇が離れると、苦しかったために大きく息を吸いこんだ。何回か繰り返して呼吸を整えたあと、薄目を開けると秋月が見下ろしていた。
むう、やはりオネエサンたちを食いまくっているせいか、余裕ありまくりな感じ。ムカつく。
「琴音」
あたしの名前を呟きながら、また近づいてくる。
あたしの右側のほうに頭が移動し、耳に微かな息遣いを感じた瞬間――部屋の扉が派手な音を立てて開いた。いや、開いたじゃない。扉が吹き飛ばされた。
……マジ!? ってか、何が起こったわけ!?
わけが分からず目を見開いていると、ウェンさんとトリィが入ってくる。おかげで思いきり仕掛けの音が響いてうるさい。こんなの仕掛けるんじゃなかった。
ウェンさん、トリィごめんなさい。すごく嫌な顔してるのが分かります……。
「せっかくいいところなのに邪魔するんじゃねーよ」
オタオタしているあたしとは違って、ゆっくりと入ってきた二人を見ていった言葉がこれ。
信じられる? こんなところ見られて、なんで冷静でいられるわけ!?
「邪魔するんじゃない、じゃなーい! あんたが退けええっ!!」
二人が入ってきたおかげで、少しだけ秋月との間に隙間ができていた。
その間に手を入れて、払うようにして秋月を退かす。秋月もそれに逆らわず、素直にあたしの上から退いたけど、反対に上着が捲れていたせいでお腹のあたりが丸見えだった。
「……と、ちゃっかりしてるなぁ」
「ちゃっかりしてるなぁ、じゃない! あたしは露出狂の気なんてないのー!」
急いで服を元に戻しながら秋月を睨む。
秋月は残念と呟きながら、ウェンさんのほうを見る。
「で、邪魔しておいてほんの些細な用でした、なんて言うなよ?」
「言わないよ。分かってるだろ、来てるっての」
「……それくらい分かってる」
ん? 来てるってなに?
分かるように説明して欲しいんだけど、あたしは蚊帳の外で話が続く。
「いいの、秋月? 近づかせたくないんでしょう?」
「分かってる。だからそれなりの――」
「手を打っているのは分かるけど、ここまで来たら琴音ちゃんを危険に巻き込むんだよ?」
「……はー。行けばいいんだろうが」
訳の分からない話を聞いて分析してみる。
なにやら秋月はここに来ようとしている何かに対し、友好的ではない対応をしようとしている――ということみたい。
いまいち理解できないけど、この状況の悪化は免れたと安心した途端、くいっと引っ張られて軽くキスされる。
「なっ……!?」
「悪いけど、続きはまた今度、な」
「……つっ、続きなんてないっ!」
動揺して秋月を平手を食らわせようとする。でも更にその手を掴まれてしまった。
「トリィ、琴音を頼む」
「分かったわ」
「大人しくして、トリィから離れるなよ」
トリィを見た後、あたしのほうに視線を移す。その表情はものすごく真面目で、あたしは反論することが出来なかった。
黙ったままいると、掴まれた手に秋月の唇が触れる。
「っ!」
「じゃーな」
離れた後は、さっきと違う軽い口調に戻る。
何も言い返せないでいると、秋月とウェンさんは窓から出て行き、夜の闇に消えていった。
嵐が過ぎ去った――とは、まさにこのことだろう。
窓の外を見ながら、深いため息をついた。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます